AT車独自のメカニズム

トルクコンバーターというのは、AT独自のメカニズムです。


その原理はドーナツ状の密封されたケースのなかにオイルが入っています。


このケースのなかには二つのタービンが入っていると考えてください。


一方のタービンはエンジンからの入力軸とつながっています。


エンジンを始動させると、このタービン(インペラーといいます)が同時に回転します。


この状態では、インペラー近くのオイルが、インペラーの回転と同時に、動かされ始めます。


やがて、ドライバーがアクセルを踏み込むと、エンジン回転が高くなり、インペラー側のタービンが速く回りはじめます。


・・・こうなると、オイルのかくはんも始まります。


オイルの動きが速くなると、もう一方のタービン付近のオイルも動き始めるようになります。


日ごろから中古車の情報をチェックしているというような方なら、もうすでにご存知ですよね。

マニュアル車のクラッチ

トルクコンバーターのことを"ノークラ車"と呼ぶ人もいます。


これは三菱 中古車にクラッチペダルがないためですが、クラッチがないわけではありません。


そのトルクコンバーターが、エンジンからの入力をミッション部分に伝えます。


そのためには、クラッチがなければならないのですが、トルクコンバーターのなかには、オイルが封入されているのです。


つまりこのオイルが、エンジンからの入力をミッション部分に伝える役目を果たしているといってよいでしょう。


また、最近よく耳にするロックアッブクラッチというメカニズムも、クラッチブレートではありませんが・・・


機械的な動きによって、ダイレクトにトルクコンバーターのカバーと接触するようになっています。


こちらのほうが、本来のマニュアル車のクラッチに似た働きをしているといえます。

AT車の構造


エンジンのクランクシャフトに直結しているフライホイールは、エンジンが回転している間は絶えず回転しています。


このフライホイールに円盤型のプレートを押しつけたり、離したりして、力を伝えたり、切ったりすろのです。


ですからクラッチペダルを勢いよく離すと、ガクッというショックがあるのは、プレートがいきなり回転しているフライホイールに押しつけられたときのショックなのです。


・・・このようにクラッチというのは、ミッションを操作するときに、エンジンからの力を二時的に切ったりするのです。


こう考えると、ATといえども原理的にはギアポックスもあり、自動的ではありますが、シフトアップ.!ダウンもするので、クラッチがあってもおかしくはないはずです。


実際にクラッチに似た役目を果たすものは、ATの中古車のなかに入っているのです。


正確には、ものというよりも液体なのですが・・・。


ATの構造に関しては、あとでくわしく説明しますが、そのなかに、トルクコンバーターという部分があります。


余談ですが、トルクコンバーターを略して、トルコンといいます。


・・・ですから、ときどきAT車のことを、"トルコン車"という人がいるのです。


AT車にもクラッチがある


ドライバーは、アクセルを踏む力を強くしたり弱くしたりするだけで、状況にマッチした"走り"が実現します。


なぜ、アクセルの動きだけで、エンジンからの力が適切にタイヤに伝わるのでしょうか?


ATでもMTでもエンジンのクランクシャフトから延びている入力軸があり・・・


それがミッションケースのなかに入り、駆動輪へでていく、という流れは同じです。


しかし、ふつうのマニュアル車がクラッチとギアボックスから成り立っているのに対し、AT車の場合は、トルクコンバーター、変速機構、制御部分という三つのパートに分かれています。


ATの三菱 中古車でもこれは同じことですね。


クランクシャフト側から入った力は、この三つのパートの働きにより、走行状況に見合った出力で駆動軸に伝わるわけです。


マニュアル車でのクラッチというのは、エンジンからのカを伝えたり、切ったりする役目を果たしています。


次回、もう少しくわしくメカニズムを説明しましょう。

中古車情報が多いクルマは・・・

MTに対して、AT、オートマチックトランスミッションがあります。


こちらは、ドライバーが手も足も使わない(?)で、エンジンからの力を、タイヤに伝えます。


マニュアル車の場合、スタートしてから最高速に到達するには何回かチェンジレバーを操作します。


これは、各ギアにそれぞれの役目があるからです。


1速(ロー)は、とにかく重いクルマをスタートさせるためのギアなので、スピードをだすことよりも、トルクをだせるようになっています。


2速(セカンド)は、スピードにのせるための準備ギア。


さらに、3速、4速、5速ギアでは、トルクは小さいのですが、スピードがでるようになっています。


しかし中古車情報が多く人気のある、マニュアル車は、こうした路面状態や道路状態をドライバーが見てから判断し、ギアを選ばなければなりません。


そうしないと、ノッキングをおこしたり、エンジンの回転数が異常に高くなったりするからです。


ところが、AT車ではこうしたギアの選択を、すべてATが行ってしまうのです。


三菱の中古車ってどう?


ポルシェやフェラーリなどのスポーツカーは、AT車の設定があることで売れてきたという側面もあります。


スポーツカーにとってもATは無視できない存在なのです。


・・・ただし、あまり乱暴なシフト操作を繰り返すことは、ATにとって決していいことではありません。


さて、今日はAT車はどう動くのかということについて述べていきたいと思います。


三菱 中古車のようなクルマというのは、パワーを発生するエンジンだけがあっても動くわけではありません。


もちろんタイヤだけでもダメですね。


このエンジンとタイヤの間にあり、とても重要な役目を果たしているのが、トランスミッションなのです。


トランスミッションには大きくわけて二通りあります。


一つは、マニュアルトランスミッション、通称MTです。


これはドライバーが手と足を使って、ミッションを操作します。


ある戦略

社長は新製品の市場開拓に、身をもって苦心の経験を積んだ人です。


内に苦労人としての人徳を備え、外には頭の回転の早いことで聞こえていました。


今、小型乗用車の開発をスタートするに当たり・・・


まっ先に考えたのは、中古車検索の多い新小型乗用車は大量販売を実現しなければならないのは当然として、どうすればそれを達成できるかの戦略でした。


小型乗用車の市場に打って出るとなれば、強敵トヨタ、日産のモデルとの競合は避けられません。


それより何より、知名度の若いマツダモデルに、顧客の眼を吸引する何かがなければ勝ち目はありません。


この段階で恒次社長の脳裡をふとよぎったものがあります。


それはこの年(35年)の元旦に、あまたの年賀状にまじって届いた西ドイツからの1通の航空便でした。


差出人は西ドイツで機械関係の商社を経営するフォルスターと言い、東洋工業の先代社長松田重次郎と親交のあった人です。

小型乗用車の開発

ここにおいて、問題は外車の輪入自由化までのタイムスケジュールのなかで、総合自動車メーカーの企業体を構築するにはどうすべきかにしぼられます。


政府は35年6月の貿易・為替自由化促進閣僚会議で、3年後80%の自由化達成を目標とする自由化計画を決定しています。


・・・ついでながら日本が国際通貨基金8条国に移行したのは39年4月1日。


次いで乗用車の完成車輪入自由化が実施されたのは、翌40年10月1日のことです。


・・・情勢は時間的に切迫しています。


まずは中古車情報の多い小型乗用車の開発を急がねばなりません。


小型乗用車を作って、売って、量産の軌道に乗せ、企業の足腰を強化することが何より先決です。


こうして35年のうちに、600~800㏄クラスに照準をおく小型乗用車の開発準備が始動しました。


いささか旧聞に属しますが、恒次社長は東洋工業が昭和の初期にマツダ号三輪車を開発した当初からその陣頭指揮に当たり、戦後に続く長い期間、三輪車王国を築いた人です。


総合自動車メーカーとしての実力

R360クーペが幸先のよいスタートを切れたのも、そのおかげと言えなくもありません。


しかし行く手には開放経済体制への移行にともなう国際競争の情勢が待っています。


トラックはともかく、乗用車部門は軽規格だけの企業力で、果たして国際競争に勝ち残れるものかどうか・・・。


答は否です。


それなら中古車情報の多い乗用車部門でも小型車、普通車の分野に進出して、総合自動車メーカーとしての力を蓄える以外に道はありません。


幸いにも、メーカーの数こそ十指に余るとは言え、総合自動車メーカーの実力と社格を備えているのは、トヨタ、日産の2社だけです。


あとはすべて後発メーカーであり、見渡したところ、どのメーカーもナンバー3の座に等距離の位置にいます。


東洋工業(現マツダ)が起つべき時は今を措いてない・・・。


恒次社長の決意は固まりました。


国際商品としての自動車と中古車

自動車は国際商品です。


ひとたび貿易の自由化が実施されれば、外国車は大手を振って国内市場に流入してくるでしょう。


価格、性能、外観をひっくるめた商品性において外国製乗用車の人気が中古車情報の多い国産車にまされば、その帰結するところは火を見るより明らかです。


まだ公害問題も発生せず、オイルショックなどは夢想だにしない30年代の後半ではありましたが・・・


自動車業界にとってこの時期に直面した事態は深刻なものがありました。


先発メーカーにおいて然り、まして後発メーカーにとって、それは越えがたいハードルとも思われました。


後発メーカーが背負う数々のハンデをどう克服するか・・・。


昭和30年代の半ば、松田恒次社長の胸中に去来する思いは、この一点に集中していました。


35年5月に発売した軽乗用車マツダR360クーペは、末端価格30万円という廉価が人気を呼んで好調なスタートを切りました。


・・・このまま軽乗用車メーカーにとどまる限り、トヨタ、日産との競合も避けられます。