ワイドセレクションの元祖

乗用車路線を推進した三宮社長のあとを引き継ぎ、第6代社長に就任したのが楠木直道(37年1月~40年6月在任)です。


自動車メーカーの社長というより、むしろ銀行の頭取室におさまるのが似合う温厚な風格の人でしたが・・・


40年代におけるいすゞ自動車経営不振の因は、この人の在任中にふくらんだと目される不運のトップでもあります。


ところで乗用車の場合、ニューモデルがデビューするのには普通3年ないし4年の歳月を要すると言われます。


・・・ということは、3~4年先のデビュー時に、そのモデルがどのように評価されるかを読んで設計企画を決めるわけで、そこのところが乗用車設計のむつかしいところとされます。


乗用車という商品にはまた、企業の安危がかけられています。


デビューしてヒットすれば企業の発展に大きく貢献するし、その反対の場合はきびしい局面にさらされます。


30年代の乗用車モデルで、それを如実に実演したのがブルーバードです。


当時は中古車情報なども少なかったのですが、このブルーバードは飛ぶように売れました。


初代ブルーバード(310型)のヒットで、日産は一躍乗用車メーカーのトップにのし上がりました。


初めまして!

今日からブログ始めます。


こんにちは。


初めてブログをやる者ですが以後、よろしくお願いします。


ここではクルマに関することを中心に、中古車情報なども一緒にお伝えしていこうと思っています。


不束者ですがどうぞよろしくお願いいたします。


ではまず、昭和の日本における自動車産業について書いていきたいと思います。


世界の自動車地図は’70~’80年代に誰の目にも識別できるほどに塗りかえられました。


デトロイトの没落と日本の台頭がその主因をなしています。


日本自動車工業の躍進の秘密は、実は昭和30年代にことごとくパックされています。


・・・その秘密の一つが、メーカー各社によって実施された乗用車専門工場群の建設です。


いすゞ自動車の藤沢工場は、同社の総合自動車メーカーへの発展計画を推進する重要な柱として建設されました。


乗用車は量産を前提として事業化が成り立つ商品です。


いすゞでは同時に小型トラックの分野にも進出する計画が進行中で、これらを量産する必要に迫られての建設でした。


・・・昭和36年11月第1期工事完了。


翌37年1月から新しいベルトラインの上をヒルマンが流れました。


しかし三宮社長はそれを見ることなく、36年12月30日黄泉の客となりました。


プロフ

HN
葉色(はいろ )
性別
誕生日
8月6日
血液型
O
趣味
陶芸・登山
性格
行動的
好きな食べ物
きつねうどん